UFOREPORT010         UFO年表

1975-1978

◆1975年1月2日、沖縄から韓国ソウル近郊基地へ飛行中の米海軍グラマンSトラッカー2機は、韓国海岸線を通過中、輝く円形物体と遭遇。機は物体と編隊を組み7分間飛行した。

◆1975年9月29日午前2時10分、TAP航空ボーイング707旅客機がリスボン空港を離陸した直後、衝突コースで接近する明るい光と擦れ違い、地上管制官も機体近くに光体を確認した。

◆1975年10月17日、秋田空港上空に黄金色のUFOが出現。地上管制塔と上空のパイロットが目撃した。

◆1976年7月5日、東京国立公文書館で米空軍「ブルーブック」の資料が公開される。

◆1976年9月18日夜、イランのテヘラン郊外上空でイラン空軍のファントム戦闘機2機が、色彩を変える見かけ半月の半分のUFOを追跡。UFOは小さい丸い物体を発射した後、超音速で飛び去った。

◆1976年末、モスクワ航空大学のジーゲル助教授が中心になってUFO問題学術セミナーの計画が出来上がる。内容はUFO問題の現状やパイロットによる空中遭遇体験の発表、UFOの飛行と運動の特徴の研究、宇宙における人類社会文明の有無、ツングースUFOの軌跡、中国古代叙事詩にみるUFO現象の痕跡、異文明との交流法、UFO情報の統計処理など、科学者や研究員による画期的なセミナープログラム。

◆1977年4月18日、メキシコのアカプルコで第1回UFO国際会議開催。

◆1977年5月1日、フランス国立宇宙研究センターにUFO研究機関設立。4月20日に「UFO現象解析法101100号」が決議された。研究員であり解析法グループの長クロード・ポエル博士は、1000件に上るフランスのUFO情報を処理。観測者の80%が見た物体は円い形であり、20%が細長い形。夜間は赤みを帯びたオレンジ色の光に輝き、昼間は金属色であること、円い形のUFOのサイズは10〜30m、目撃通報の70%は二人以上の観測者によって観測され、時には街あるいは村の住民すべてが観測したこともあるなどが結論づけられた。

◆1977年6月24日、米国シカゴで国際UFO会議開催。

◆1977年9月20日午前4時頃、ソ連ペトロザボーツク上空に巨大なクラゲ状のUFOが飛来。市民多数によって目撃され、同時にフィンランドのヘルシンキからバレンツ海の港町ムルマンスクまでの広大な地域で目撃された。

◆1977年、米国NASAの専門家チームはUFO研究再開答申を決め、これに対してUFO目撃体験のあるカーター大統領も賛同の意を表明。(11月27日)

◆1977年11月28日、国連総会特別政治委員会で、グレナダ国ゲーリー首相とファラデー国連大使は「国連にUFO研究センターを設置せよ」と演説した。

◆1978年2月26日、東京、川崎、横浜でオレンジ色に光るUFOが目撃 撮影される。

◆1978年3月2日、富山市でNHKカメラマンが流線形の光体を16mmカメラに撮影。

◆1978年4月3日、モスクワ市オスタンキノのテレビ塔付近に円筒形のUFOが出現。様々に姿勢を変えて動き、その模様が技師夫妻によりスケッチされ写真撮影された。

◆1978年6月4日、米国ニューヨーク上空に白色球状UFOが大学生により撮影され、その夜ケネディ空港上空に明るく輝く光体が2時間にわたり滞空、市民を騒がせた。

◆1978年、イランのテヘランで3機のUFOを少年が撮影。

◆1978年、米国シカゴで第5回世界宇宙考古学会議開催。

◆1978年11月27日、第33回国連総会第35特別政治委員会において、3年連続してグレナダ国ゲーリー首相がUFO演説。またアレン・ハイネック博士、ジャック・バレー博士、ラリー・コイン中佐、ゴードン・クーパー氏、スタントン・フリードマン氏の証言、UFOフィルムの上映などが行われ、グレナダ政府はUFO決議案を提出した。そこには『UFOおよび関連現象の研究のためのガイドラインの明確化に関する宇宙平和利用委員会の専門家グループ報告』と題する項目が含まれている。

◆1978年12月14日、米国CIAはGSW(円盤地上監視組織)に対しUFO情報の一部を公開。

◆1978年12月31日、ニュージランドでオーストラリアのテレビ局取材チームが機上からのUFO撮影に成功、日本でも新聞各紙で報道され話題となる。

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